チーム ディレクターのフレデリック・ソーセ代表は、2012年に人食いバクテリアによって四肢切断という障がいを負うも、ル・マンに挑戦するという夢を持ち続け懸命な努力により、2016年にル・マン24時間レースへ「ガレージ56」という特別出走枠で参戦した経験を持つ努力家だ。“SRT41”は、そんな不屈の男フレデリック・ソーサが率いるチームなのだ。
青木拓磨(あおきたくま)は、1974年2月24日に青木三兄弟の次男として生まれる。1982年の小学3年生の頃からポケットバイクに乗り始め次第に頭角を現し、1990年にロードレースデビュー。1995年と1996年に全日本ロードレース選手権スーパーバイククラスで2年連続チャンピオンを獲得。満を持しての1997年のロードレース世界選手権GP500クラス(現motogp)初参戦では、初参戦にして年間ランキング5位を獲得する。しかし翌 1998年のGP開幕前のテスト走行中に転倒。脊髄を損傷し下半身不随となる。 以降、ホンダ・レーシングチームの助監督やバイクレースのテレビ番組の解説者等、子供向けバイク教室などのモータースポーツに関する活動を精力的に行ないながらも、自身のレーサーへの強い思いが募り続け、2006年に手だけでアクセルやブレーキ操作が可能なハンドドライブ車両にて、モータースポーツ界に4輪のレーシングドライバーとしての復帰を果たす。2007年からはアジアクロスカントリーラリーへ連続参戦し2008年には市販車改造ディーゼルクラスで優勝、2009年にはダカール・ラリーに参戦するも、日本国内のレースでは日本自動車連盟(JAF)が障害者に対するモータースポーツライセンスの発給に消極的であったため、その活動範囲の制限が余儀なくされていた。しかし、JAFに対しライセンスの限定解除を求める働きかけを行い続けた結果、2010年についに日本自動車連盟(JAF)によるライセンスの限定が解除され国内での自動車レースへの参戦が可能となる。現在は、4輪のレーシングドライバーとしての活躍を続ける中、車椅子レーシングドライバーとして、「夢をあきらめない、挑戦し続けることの素晴らしさ」を伝えるべく、ハンディキャップをもつ人を中心に全ての人に勇気を届ける訴求活動に尽力している。2019年には、鈴鹿8時間耐久ロードレースのイベント企画で、手だけで走行できるように改造された特別仕様のバイクで21年ぶりに鈴鹿サーキットをバイクで走行し話題となった。
モータースポーツの熱狂的ファンの両親のもとで生まれる。ナイジェルという名前は、ナイジェル・マンセルに由来する。両親の影響を受けて、幼少期からモータースポーツに夢中になり、1999〜2004年モトクロスの大会に出場。2004年、14歳の時にモトクロスの事故で脊椎を損傷し、下半身不随となる。2004〜2009年カート選手権に出場。2017年よりベルギー耐久選手権、2018年SRXカップに出場。zelosの主催するBlack Knights(ベルギーナショナルチーム)の四輪ドライバーに加わり、zelosのサポートを受けて、現在ル・マン24時間出場を目指す。
マチュー選手は、現在36歳。10歳からレーシングカートを始め、フォーミュラ・ルノーやワールドシリーズ・バイ・ニッサンなどを経て、2008年OAK Racingへ加入。これを機に耐久レースシリーズとル・マン24時間レースにターゲットを定め、ヨーロピアン・ルマン・シリーズ、さらにはアジアン・ルマン・シリーズに参戦(2009年にはLMP2クラスでタイトルを獲得)。
〒353-0001
埼玉県志木市上宗岡4-26-20
有限会社ティーアンドコー